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孤独な泉・・・そして海 [よしなしごと]

落語「頭山」は主人公は自分の頭の上に池が出来て、最後にはそれに身投げをしてしまうというパラレルなお話でした。ところで自分の奥からやって来る音イメージの源をどんどん辿って行ったらどうなるのでしょう。今日はそんな妄想してみたいと思います。

私は音楽を扱って暮らしています。けれど自分の扱っているものに「音楽」というネーミングはしっくりこないと感じる事があります。扱っている音は例えば「ふんふふーん」とか「すったかどん」、あるいは「しゅばりかーん」であって「音楽」とはちょっと違う感じなのです。

その気持ちは無性にラーメンが食べたい時、誰も「食品が食べたい」と言わないのに似ている気がします。また、正体は完全にラーメンでも「中華そば」という名前では心が納得しきれないのにも似ています。名前だけでなく中身の味わい方も「夜中に無性にラーメンが食べたい時のように丸ごと味わうのであって、ラーメン通の人が麺の喉越しやスープのコクを分析するみたいに「リズム」「メロディー」「ハーモニー」などと分けてしまったら、きっと「しゅばりかーん」などは全く違うものになってしまいます。たとえ「通」であっても夜中に小腹がすいた「ただの人」になってラーメンを食すように。

音楽にはたやすく人とノリを共有出来る一面があると思います。それと同時に自分だけの間(ま)や響きといった世界もあり、その源泉は自分だけの小さな泉のようなものに思えます。私の泉は誰かに共感してもらうにはアクセスが悪く、地味で、ヘンテコで、完全に孤独なのですが、はかないけれど自分にとっては確信に満ちた音が聴こえてきます。もしそこへ入って行ったら「頭山」の主人公のように溺れてしまうのでしょうか。

けれど、もしその泉の底のほうが地下水路になっていて、潜水服を付けて辿って行ったら真水の下に海水の層があって、驚きながらそれを辿って行ったら。。。海に出て!そこで大きなうねりに合流していたら良いなあ。そんなことを思う今日このごろです。妄想だけでこんな長文、ごめんなさい。なにぶん妄想を食べて生きている笛吹きなのでちょっとだけ大目に見て頂けたらうれしいです。
皆さんの泉からはどんな響きが聴こえていますか。
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