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「宝箱を開けよう」〜18年目の発表会、皆さんの演奏を聴いて〜 [よしなしごと]

昨日18回目の風韻の会が終わり、今朝はその余韻を味わっています。
発表の後は満足そうな顔も悔しそうな顔もありました。一人一人の笛の音は単旋律ですが、日頃のレッスンを見させてもらっている私にとっては、そのバックにその場に収まり切らない美しいアンビエントが感じられます。

最近の私は笛を吹く事を「音で面白い遊びをすること」と思うようになりました。例えて言うなら、子供がどこかで見つけた不思議な石などを時々手に取って楽しむようなとても個人的な感覚の世界です。人前でそんな演奏をしても、自分が気に入ったものに対して誰もが同じように興味を持つ訳では無いでしょうから、まあ100人に1人くらいの確率でたまにそんな出来事が起きたら良いな、と思って吹いています。

音に対して感じる自分なりの面白さ、美しさ、確信といったものはまさに子供時代に秘密の宝箱に入れた石ころのようだと思いますし、レッスンを通じて他の人もまた、そういう何かを持っているのでは?と思うようになりました。出会ったばかりはそれらしいものが分からなくても、10年、20年一緒に笛を吹いているうちに何となくですが見えて来るような気がしているのです。共感は一瞬で時空を超えるミラクルであると同時に長い長い孤独とのコントラストによってキラキラと輝くのかも知れません。

さて本番演奏ですが、人前に出ると失敗を恐れて音を楽しめなかったり、本来は自然の物理現象であるはずの音を、自身の生産物のような気がして恥ずかしくなったりと、なかなか石を愛でるどころでは無い場合も多いと思います。

それ対して、次のような暢気な提案をしたいと思います。
練習の長さに対して本番はずっと短いですから、もし練習時間自体が楽しいものだったなら(宝箱の中の石でたっぷりと遊ぶことが出来たら)、本番でそれが出来なくてもトータルでお得だったと思ってしまえば良いのではないかという考えです。経験上、仕事で演奏する時は色々制約もありますが、楽しみで吹く時は堪能しなきゃ勿体ない「音楽の恵み」「自然の恩恵」だと私は思います。

そうは言っても、人前である程度の格好がつかないとと思う気持ちは誰もがあって、そういう末節の原因で笛を吹く気持ちが暗くなってしまう事もあるかも知れません。でもそういう時に音楽の恵みや本質的な楽しみを取り戻してくれるものもまた音そのものの美しさ、面白さなのかも知れないと私は考えています。

そのような訳で、今までと同じく今日からもまた、私のお気に入りの石ころをご紹介し続けたいと思います。ごくたまにでも共感して頂けるものがあったら嬉しいです。(書いたのは11月11日です)
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